対話
次期学習指導要領答申の中でも、「主体的・対話的で深い学びの実現」が提案されている。答申でのこれを指すものは大きく3つあるが、これは置いといて…
深い学びのためには深い対話が確かに必要だ。
岩瀬直樹さんが面白い例えを以前されていた。記憶が曖昧だが、こんな内容だったと思う。
「冷たい雰囲気の職員室では、対話が起こらない。対話が起こらないところには、学び合い等も起こらない。」
最近僕が考えていた、対話について…。
その人のバックボーンやバックグラウンド、興味関心や趣味趣向…その人の色んなこと(あえてアバウトに)を知ってるかどうかで、対話のレベルも変わってくるんじゃないだろうか?
先日学生のRくんが、教育について話を聞かせて欲しいということで会うことに。彼とは初めまして。会って早速教育について話すのだけれども、時間をかけて、彼のバックボーン等を知っていくと、だんだんと深い話ができているなぁと感じた。
この、「だんだんと」っていうのも大事だと思う。
上記したように、その人のことを知るっていうことは、短時間ではかなり限度があると思う。知るにしても、単に知るだけか、相互に知るか、相互に承認し合っていけているかといったレベルがあるし、後者になればなるほど時間はかかる。しかしそれと同時に対話の深さも増していくと思う。
さらに言えば、言いたくないこともあるということを相互に承認することも大事だと思う。
相手を知れば、そういうことも分かってくる。しかし、知ることだけを優先しない。相互に承認しつつ…だからだんだんと。探り探りでも良いと思う。そのプロセスはそれぞれ。知りながら承認し合いながら…その時間を大事に大事にできてこそ、深い対話ができる関係性が築き上げられていくんだろう。
最後に。
共通了解についても触れておこう。
共通了解とはすなわち誰もが納得し得る底の底の、あぁ確かにそうだね!を取り出すものである。
誰もがっていう点が重要で、つまり深い対話が必要…。言葉1つをとっても、その言葉の認識が違えば、共通了解も出すことはできない。
その人を知る。知っているという関係性。
ゆっくりゆっくり、色んなプロセスを経ること大事にしていきたい。