マツケンの記録部屋

教育に関して。

名札係のお話

どの学校もそうですかね…

毎日の日課として、朝来たら名札入れから名札を取り、帰るときに名札入れに名札を返す。

 

このお世話係が名札係。

 

その仕事の中で、課題が出てきました。

 

名札を取る、返す、が遅い…

名札係の2人、早くできないかと、ある提案がありました。それがこれ!

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大枠を自由ノートに書いて持ってきて、作って欲しいとのこと。早速作成後名札係に渡すと、毎回タイムを計測して、記入。なるほど。

タイムを縮めていこうってことか!

 

ただ…課題は解決せず。全員が取る、返す、までの時間だから、1人なにかあって遅れてしまうと、タイムは縮まらない…

仕事量が増えてしまうだけとなってしまい…

 

名札係の2人に、もっといい方法あるかもよ〜と伝えようとしていた矢先のこと。

子どもの発想ってなんでこんなにステキなんだろう…

 

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ビンゴにはなってないけど笑、ゲーム的要素を取り入れて呼びかけ!

しかもどんどん工夫されていって、学期末には名札入れの縦と横でチーム分けをしたり、リーダーを決めたり、黒板への記入を分かりやすくしたり(写真撮っておけば良かった…)。

 

子どもって競争が好き。すぐ返すようになりました。

週単位で順位を決めて、称賛するのも日課に。

自分たちで解決。すごいなぁ。

 

ただ…返すときは特に、名札入れに人が殺到してしまう様子も。ここらへんは、二学期考えないとなぁーと思っていたら、これまたすごい!

 

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表彰することになり、リーダーに手作り賞状と、名札を早く返せる券を!

 

早く返せる券、その後継続して根本的に課題を解決できるという訳ではないけど、課題を自分たちで見つけ、変えようとしているところがステキ!

あとはそこに、必要に応じて教師がサポートしていけばいい。

 

教師の役目ってそういうサポートであって、

こうしなさい!ああしなさい!

ってなんでもかんでも決めてしまうことは避けたいなぁとつくづく思いました。

 

明日はこのことを書こう!

6月、コーナー設立!

小学3年生、理科の授業ではモンシロチョウの観察があります。

 

学年共通のキャベツが植えられた鉢が外にあり、授業になると観察に行く訳ですが、教室の中にあって、いつでも観察ができたらいいなぁと思っていたら…それは子どもたちも同じだったよう。

 

虫かごが用意され、教室での観察が始まりました。

 

しばらくすると、ある子どもが、

「先生、アゲハの幼虫ゲットしたんで、持ってきていいですか?」

 

早速、鉢も手作りで持ってきてくれました。

 

これは…観察するものも増えるし、ちゃんと観察できたらいいよなぁということで、子ども達に相談。

 

「ステキな鉢と教科書とかでしか見てなかったアゲハチョウの幼虫を持ってきてくれたんだけど、せっかくだから、みんなが見やすいところに置いた方がいいと思うんだ…どうしようか??」

「なんか、観察する場所があったらいい!」

「机とイスがほしい!」

といった感じに話は進み…

 

観察コーナーの誕生!!

しかもばっちり但し書きのようなものも貼ってくれました。

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観察用の用紙の用意は私の役目。

 

休み時間になると早速お世話や観察やスケッチや…

 

これぞ"学び"だなぁ。

 

実はこの観察コーナー、進化していきました。

というのも、これまた実物は見れていなかったカブトムシを持ってきてくれる子どもがいて…

しかも気づけば貼り紙も!

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この貼り紙、センスありすぎる…笑

 

虫めがねもあったがいいということで、理科の専科の先生にお借りして設置。

 

一学期の最後、ある子どもは観察してスケッチしたものを綴って、本にしていました。

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興味関心から生まれる学びって、やっぱりステキだなぁと感じる場面が、観察コーナーでたくさん見ることができました。

 

コーナーは観察コーナーきっかけに、郵便コーナー、落し物コーナー、読書コーナー、問題コーナーも誕生。

どのコーナーも、子ども達と進化させていけたらいいなぁ!

「振り返りジャーナル」を振り返る

4月10日から始めた「振り返りジャーナル」。

岩瀬直樹さんの実践です。

 

「振り返りジャーナル」で子どもとつながるクラス運営 (ナツメ社教育書ブックス)

「振り返りジャーナル」で子どもとつながるクラス運営 (ナツメ社教育書ブックス)

 

 

まずは子どもたちとルール等を確認しました。

 

  1. 5分から10分程度。必ず毎日やる。できないときは事前に予告する。
  2. 教師も生徒もジャーナルを持ち帰らない。
  3. 見せて欲しくないメッセージがある時は誰にも見せない。

 

私自身の中でのルール

  1. フィードバックは短く、簡潔に。40人分を20分が目安。
  2. 肯定的なフィードバック。誤字脱字への赤入れはしない。
  3. ジャーナル上で問題を解決しようとしない。

 

ある日、校長先生と面談をしていると、ジャーナルの話に。「こんな風にやってて、こんなステキなことがありました!」と話した後、校長先生から「先生のされていることは、先生の子どもの自主性を大切にしたいという思いに反するのでは?」「帰りの会で、書くという作業は子どもにとって重労働では?」と。

なるほど。

 

実は、始めた頃、テーマを提示して、テーマに沿って振り返りを行うようにしていました。

 

そんなある日、子どもたちから

「今日は書きたいことがあるから、そのことについて書きたいです!」

「OK!なら今日はフリートークってことにしよっか!」

と言うことでテーマを自由に選んで書くことに。もちろん書きたいテーマがあった子どもに関しては、いい振り返りができてるなぁと感じる一方で、なんとなくテーマを選び、テーマや振り返りに焦点がなく、「楽しかった」に留まっていることも。

 

色々悩んだ結果、(子どもたちからの承認を得て)当初のやり方に戻していました。

 

そんな中での校長先生からのお言葉。「与えられたテーマで書かされることに子どもはきつい思いをしているかもしれない」と。

 

なるほど…たしかに子どもの側に立って考えたことがなかった。振り返りジャーナルについて、みんなどう思ってるんだろう…

 

正直、不安になりました。不安なら聞いちゃえ!てことで…

「振り返りジャーナルについて振り返ってみて、振り返りジャーナルについてどう思う?もちろん正直に書いていいよ!」というのをテーマに。

 

以下、子どもたちが書いたジャーナルから。

一日のふり返りで、一日では、書きたいことがいっぱいあるからお題は自分たちで決めたいです。ふり返りジャーナルはあった方がいいと思います。なぜかというと一日の自分の気持ちを正直に書けるからです。

 

わたしは、ふり返りジャーナルについてこのままでいいと思います。その理由はジャーナルはなるべくたくさん書けるし、いつもいろいろなテーマがあるし、いろいろ考えることができて、あたまをつかうからとても楽しくなるからそのままでもいいです。でも一つやめてほしいことがあります。それはフリートークです。その理由はなにを書けばいいかわからなくていやになるから、フリートークはやめてほしいです。

 

わたしはふりかえりジャーナルがあってほしいです。理由はいろんなことをふりかえったりわすれたことも思い出せるからです。

 

わたしはまいにちやこんしゅうをふりかえられるのでいいと思いました。

 

ぼくはジャーナルについてしょうじきに言って、毎日三年生がおわるまでジャーナルをやりたいです。

 

ぼくは、ジャーナルについてめんどくさいと思います。だってはやくかえられないし、二年生のときはなかったし、まいにちあるからです。でもがんばりたいです。つぎもがんばりたいです。だいぶめんどくさくなくなってきました。

 

いつもふりかえりジャーナルをやっててかくのがたのしいからまだつづけていきたいです。ふりかえりジャーナルでいっぱいしつもんがあっていいとおもうけどもっといろいろなしつもんをだしてほしいです。ふりかえりジャーナルで書くのがたのしいです。

 

一番びっくりしたことは、クラス30人、誰一人として振り返りジャーナル(自体)をしたくないという子どもがいなかったということ。

感じていた不安は払拭されつつ、よかった点が。それはテーマに関して。

 

自分たちで決めたいという意見と、テーマを出してほしいという二つの意見。これはどちらも大切にしたいなぁと思い、以下のように子どもたちと決めました。

  • テーマは毎日提示する。
  • けど、書きたいことがあれば別のテーマでもOK!
  • 自分でテーマを決める時は、どんな出来事にどんな風に感じたかを考えられるといいね!

岩瀬さんの言葉をお借りすれば、共同修正

これってすごく大事だなぁと。

 

それと、書くってことに関しても、赤入れがなく、先生しか見ず、そして肯定的なフィードバックが返ってくるということを保証すれば、決して重労働なんかではないと感じたり。 

 

 

夏休み中、教室に残されている振り返りジャーナル。フィードバックの時間が好きだけど、それはできないので…これからみんなの振り返りを見直してみようー!!

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対話

次期学習指導要領答申の中でも、「主体的・対話的で深い学びの実現」が提案されている。答申でのこれを指すものは大きく3つあるが、これは置いといて…

深い学びのためには深い対話が確かに必要だ。

岩瀬直樹さんが面白い例えを以前されていた。記憶が曖昧だが、こんな内容だったと思う。

「冷たい雰囲気の職員室では、対話が起こらない。対話が起こらないところには、学び合い等も起こらない。」

 

最近僕が考えていた、対話について…。

その人のバックボーンやバックグラウンド、興味関心や趣味趣向…その人の色んなこと(あえてアバウトに)を知ってるかどうかで、対話のレベルも変わってくるんじゃないだろうか?

 

先日学生のRくんが、教育について話を聞かせて欲しいということで会うことに。彼とは初めまして。会って早速教育について話すのだけれども、時間をかけて、彼のバックボーン等を知っていくと、だんだんと深い話ができているなぁと感じた。

 

この、「だんだんと」っていうのも大事だと思う。

上記したように、その人のことを知るっていうことは、短時間ではかなり限度があると思う。知るにしても、単に知るだけか、相互に知るか、相互に承認し合っていけているかといったレベルがあるし、後者になればなるほど時間はかかる。しかしそれと同時に対話の深さも増していくと思う。

 

さらに言えば、言いたくないこともあるということを相互に承認することも大事だと思う。

相手を知れば、そういうことも分かってくる。しかし、知ることだけを優先しない。相互に承認しつつ…だからだんだんと。探り探りでも良いと思う。そのプロセスはそれぞれ。知りながら承認し合いながら…その時間を大事に大事にできてこそ、深い対話ができる関係性が築き上げられていくんだろう。

 

最後に。

共通了解についても触れておこう。

共通了解とはすなわち誰もが納得し得る底の底の、あぁ確かにそうだね!を取り出すものである。
誰もがっていう点が重要で、つまり深い対話が必要…。言葉1つをとっても、その言葉の認識が違えば、共通了解も出すことはできない。

 

その人を知る。知っているという関係性。

ゆっくりゆっくり、色んなプロセスを経ること大事にしていきたい。

学びの「多様化」を考える②

今回は「多様法」に関連して、学びの「多様化」について考えてみる。

まず、多様法に対して、2つの視点から考察。

フリースクールの代替性と補完性
多様法によって、フリースクール等の学校教育法第一条校以外の学びの場での、教育の機会が拡がっていくだろうと考えられる。
ここで考えられる懸念の1つは、これまでのフリースクールの在り方をどう改善していくか。
語弊のないように補足すると、(詳細は省くが…)フリースクールと言っても、その定義自体曖昧になっており、(卒業論文フリースクールの実態を調査したのだが、その結果で言うと)学校公教育に対するアンチ的側面を少なからず持った、代替性・補完性が特徴的なフリースクールも多々存在している。ただ、これまでも公的助成を受けているフリースクールも存在はしており、つまり、フリースクールが全体的に、これまで公的な認可を受けたものではなかったというシステム的な面に課題があったと考える。
故に、これまでのフリースクールの在り方そのものを問わず、公的に認可することだけでは、公教育への代替性・補完性という側面が無くなることはないだろう。公教育との対立構造は避けたい。全ての子ども達にとってのより良さを求めてスタートした多様法の意義を見失うことになりかねないからだ。

⑵インクルーシブという考え方
多様法では当初、「国連子どもの権利条約に則って」が目的条項に入っており、文言としても「年齢または国籍等に関わることなく」とされていた。つまり「全ての子ども」を対象に考えられた法律である。しかし一方で、インクルーシブ教育の原則は明確に位置づけられてはいない…。
(http://matsuken1991.hatenablog.com/entry/2017/05/29/153059)
全ての子どもを対象にということであれば、学校教育法第一条校の教育の場における、教育の多様性や多様化も考える必要があるのではないだろうか。(これに関しては多様法でも規定はされているよう…参照:多様法 第三条の一・第八条)
一条校の在り方を問わず、それ以外の教育の機会のみに焦点を当ててしまえば、単に選択肢が増えることだけを保証することになってしまう。つまり、理由はともあれ第一条校に行けない子ども達が、それ以外の、つまりフリースクール等でしか学ぶことができないから、少なくともそれを保証します、に留まってしまう。そもそもこれでは、選択の自由なき選択肢が増えるに過ぎない。共同性、個々の違いの尊重、民主主義…これら公教育の基盤も欠如してしまい、本末転倒な結果になりかねない。

これらから、学びの多様化の在り方をこれから考えていく上で、そもそも「多様化」とはどうあれば良いと言い得るのかを考えなければならない。原理として出せた時に、方法も見えてくる。

結論から言うと、
「自由と自由の相互承認が保証されている時にこそ、多様化は良いと言い得る。」

一条校フリースクール、その他多様な選択肢として存在する学びの場と、その選択そのものに、自由と自由の相互承認が保証されていなければならないと考える。

 

多様法つまり「義務教育段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」の附則3には以下のようにある。

(略)この法律の施行後三年以内にこの法律の施行の状況について検討を加え、その結果に基づき、教育機会の確保等の在り方の見直しを含め、必要な措置を講ずるものとする。

先に述べた原理に基づいた在り方や方法を考えていくことが望まれる。

 

さらに、ここからは詳述しないが、発達障害の児童生徒たちの視点も考えなければならない。

ここを別枠で考えることは、インクルーシブの考え方からは外れてしまうが…そもそも日本の教育においては、サラマンカ宣言、子どもの権利条約に基づいて始まった特別支援教育とは逆向きに在る現状だ。その専門性等、全てを批判的に捉えている訳では決してないが、今回の論に沿って考えれば、フリースクールにおいては発達障害のみを対象にしている所も少なくない。公教育における、普通学級の中で、特別支援教育は可能だとするスタートに立ち返り、再考する必要性も含めて、学びの多様化に付随した特別支援教育の在り方も検討する必要性もあるだろう。

学びの「多様化」を考える①

これから数回の投稿で、2016.12.7に参議院本会議において可決となった、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」(以下、 名称変更前の法案名「多様な教育機会確保法」から「多様法」とする)に基づいて、学びの「多様化」について考えていたことを記していく。

今回は「多様法」とはどんなものかのおさらい。

まずは、⑴議案情報・議案要旨⑵成立法案を見てみよう。
→⑴http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/192/meisai/m19205190034.htm
→⑵http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/192/pdf/s051900341920.pdf

つまり「多様法」とは、〈全ての児童生徒の豊かな学校生活、安心の上での教育の確保と、不登校・夜間中学・その他普通教育に相当する教育の機会の確保等を目的とし、これに関する施策を総合的に推進しようとする法律〉であると伺える。

では次に、「多様法」の始まりを見ていこう。
→⑶http://news.tokyoshure.jp/s/article/167194518.html
→⑷http://freeschoolnetwork.jp/file/1020_shiryou_enlarged.pdf(p38〜p43)
参照した⑶は「多様法」の呼びかけ団体NPO法人フリースクール全国ネットワーク代表理事 奥地圭子さんによる、「どんな法案か」の説明。
⑷は「多様法」に関しての取り組みの経緯。

これらを見てみると、⑴・⑵に明記されていなかった、普通教育に相当する教育の機会の対象は、

フリースクール・フリースペース・居場所・自主夜間中・自宅・オールタナティブスクール・外国人学校など、これまで決して公的に、正規に認められることのなかった場で育つことを認め、社会的に応援するよ、ということは、これまで全く考えられてこなかったこと。

なぜなら…(不登校児童生徒の中で、フリースクール等を居場所とする子どもも大多数いるため、不登校も包括してはいるものの)不登校をメインに考えられている、というよりも、フリースクール等の学校教育法第1条校に規定されている以外での学びの在り方、子ども1人ひとりの教育の機会を保証しようとすることから、「多様法」が始まっていったからだろう。

なんせ現実には、義務教育は無償という法的な保証でさえも守られていないという問題、つまり、

これまで「義務教育は無償とする」と憲法にあっても、子どもがフリースクールに通うには、親は税金を払って学校教育を支えつつ、フリースクールには別途会費を払うという二重払い

という問題もある(しかも高額なところが多い…)。先に不登校も包括していると記したのは、義務教育段階の全ての子どもたちの教育は保証されなければならない、にも関わらず、学校に行けなくなった子ども達が、他に教育を受ける機会がないことは即ち、子どもたちの教育は保証され得ていないと言えるだろう。

 

とは言っても、⑴・⑵においては、不登校にウェイトが掛かっているようにも思える…。

現に「多様法」の採決に即して付された付帯決議(28 文科初第1271号 2016.12.22)も、「不登校児童生徒」への配慮事項である。

 

「多様法」を巡っては、不登校に関連した批判が多い。確かに、フリースクール等の「学校化」や、「通学偏重」、子ども達の居場所への侵害等は考え得る事項だろう。

 

自身も不登校に関しても考えてみた。

ただ、「多様法」に関しては、まずフリースクール等の多様な学びの場を保証するという点と、不登校に関する点の2点が混在している事実がある。さらに、「多様法」が「国連子どもの権利条約に則って」を目的条項として入れ、「年齢または国籍等に関わることなく」として、全ての子ども達の学びを保証することをスタートとしてきたように、全ての子ども達にとってのこれからの教育のより良さを考えたい。

 

こうしたことから、次回は、全ての子ども達にとっての学びを保証するために、学びの「多様化」が考えられる訳だが、「多様化」とはどうあれば良いと言い得るのか、考えてみたいと思う。